紫水宮

嘉村詩穂の告知ブログ

パニック障害再燃ライター、インスタの鍵垢を新設し、日記がわりに運用しはじめる。

はじめに

インスタから離れて久しい。この間にもさまざまな人間関係の変動があり、自分自身も消耗してしまうことが多く、人目のないところで、ゆっくりと自分自身の内面と向き合いたいという思いは日増しに強くなっている。

とはいえ、人とのつながりを完全に断つことは難しいし、SNSをやめられた試しはないので、鍵垢での運用と、完全にひとりきりでの投稿を前提とした場を求めていた。

 

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病気の件についてのご報告と、高村光太郎「智恵子の半生」、頭木弘樹『絶望名言』を読む。

昨日、かかりつけの内科にて、心電図とレントゲンの検査を受けた結果、異常は見当たらず、心因性のものだろうという診断を受けた。

主治医に話してみなければなんとも云えないのだけれど、元々患っていた病気の一つであったパニック障害が再燃したのだろうと思う。

激しい呼吸困難と動悸、胸痛などを考えてみると、パニック発作が出たとしか思えない。

薬の調整等、また主治医と相談しなくてはならないが、少しばかり先行きのことを考えてしまい、昨夜は不眠で朝まで眠れなかった。その間にも元々の持病の調子がすこぶる悪く、この調子ではいずれにせよ、すぐに公募に出したり、その結果を待つということが難しいと判断せざるを得ない。

そういうわけで想定していた最悪の事態は度外視するにしても、この病気と付き合いながら、今後の創作活動をしていくという現実はまるで変わらないので、限られたリソースの中でどのように自分自身の力を注いでいくのか、改めて考える必要がある。

いずれにせよ今は休養を第一としなければならない。今の段階ではできる範囲でブログの更新をつづけたり、詩歌を作ったりするのが関の山と云ったところだろう。

持病が回復するのを待たなければ、先のことはまだなかなか考えられないので、しばらくの間は読書録や、作業配信風の記事などを書いていくことにする。

とにかく書くことをやめなければ、また道はどこかにつながっていると信じているし、そうしてブックライターの仕事を得た身でもあるので、まだ心は折れてはいない。

以下、ここのところ読んでいる本について書いていくことにする。

昨夜は眠れず、Kindleの奥底に眠っていた、高村光太郎の随筆「智恵子の半生」と、頭木弘樹『絶望名言』を再読していた。

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体の病気について、今後の創作面での見通しについてご報告します。

はじめに

現時点で原因や病名がよくわからない病気になってしまい、今後の創作面での見通しについて再考せざるを得なくなった。

現在は内科で抗生物質とビタミン剤、カロナールを処方されていて、診断名はない。ひとまず様子を見るほかないので何とも云えない。コロナは陰性という結果だった。

病気が良くなる見込みはあるのか、反復的に起こるものなのか、それともだんだんと悪化していくものなのか、それすらも現時点ではわからないので、見通しを立てるに立てられないというのが現状だ。

詳しい症状については伏せるけれど、もう少し時間が経ったら書ける範囲で書いていくかもしれない。

そうした中で、ひとまず現状でやめておきたいことと、今後叶うならやっていきたいことを書いてみる。

 

やめておきたいこと

病状が良くなるまでは、詩歌の公募への投稿をやめておきたい。

その代わり、noteで詩歌を投稿していくことにする。

note.com

今は心身に負担がかかることはできるだけ避けたいので、公募の結果の良し悪しに一喜一憂している余裕がない。

ココア共和国に数年間投稿をつづけて、秋吉久美子賞最終候補というそれなりの結果を残せたことは良かったと思っているし、その数年があったから今はやり切ったと思える。

詩人として生きることは、詩集を出す出さないに関わらず、生き方そのものだと思っているので、詩を書くことをやめない限りは私は詩人だと思っていたい。

それから小説に復帰することも、どうしても体力的にも気力的にも限界があるので、こちらも現時点では視野に入れることをやめようと思っている。

お声がけいただいていたお話もあったのだけれど、それを果たせないままとなってしまい、関係者の方には本当に申し訳ない気持ちでいる。

ただ、自分自身の体調ばかりは仕方がないことなので、病気のことがある程度はっきりしたり、もう少し改善したら先方の方にご連絡させていただければと思っている。

小説のことはもう少し未練が出るものなのだろうと思っていたけれど、こちらも学生時代からずっと書いてきて、商業誌に3度掲載、カクヨムコンテスト短編部門最終候補という結果を残して、無論それだけではプロ作家の足元にも及ばないのだが、それでも自分自身の力でやれるだけのことはやり切ったという気持ちがあり、今は心は凪いでいる。

kakuyomu.jp

ちょうど『文芸ラジオ』2号に寄稿した「雪花物語」に登場するヒロインが、長い黒髪に白い服を好み、病気で早世するという設定だったので、作者自身がそれをなぞることになるのかと思うと、何とも自己陶酔的な話ではあるけれど、しかしここ数日彼女のことを思わない日はない。

春の彼岸の岸辺で彼女にまみえる日がやがてくるのかもしれない。それはわからないけれど、彼女の存在が私の心のなぐさめになっている。

 

それでもまだやりたいこと

やりたいことがあるとすれば、それは詩の作風を病苦をひたと見つめるものから、ふたたび耽美的なものへと転じさせることで、これまでは公募への投稿を意識していたこともあり、身を削って詩を書いていたなと思う。

今はその折衷のところを模索していて、今後は第一詩集『挽歌-elegy-』・第二詩集『真珠姫の恋』に並ぶような耽美的な詩を書いていきたい。

趣味的に書くものだから、詩として成立している云々を掘り下げたり、構造的に詩を書くというよりも、もっと趣味に走ってもいいだろうと思う。

そうした意味では最近書いた散文詩「沈黙のうちに飛ぶ蝶へ」はそうした作風がふたたび戻ってきた作品となり、読んだ人から「雨伽節全開」と評されたのだった。

note.com

またここのところ臥せりがちになっているので、短歌も少しずつ詠んでいければと思う。

こちらも先に書いたように公募への投稿は考えず、noteに投稿していくことにする。

note.com

2〜3月ごろに詠んだり書いたりしていた、観梅の折に作った詩歌もまとめたい。できれば近日中にまとめて、noteで公開したい。

KDPでココア共和国に入選した詩をまとめて詩集にしたいという気持ちもあるのだが、こちらはもう少し病状が改善してからにしたいと考えている。

ブログを書くことも何とかできる範囲でつづけていければと考えている。今はPCに向かって書いているが、体力的に余裕がない時にはスマホを活用して書いたりもしてきたので、それを活かして、できるだけコンスタントに原稿を書くことが今の目標だ。

ブックライティングの仕事をこなす余裕は今の私にはないので、お仕事は少なくとも今は断念せざるを得ないが、それでも書くことをやめてしまうと、私自身のアイデンティティと尊厳が揺らいでしまうので、何とか書きつづけたい。

それ以外にも個人的にやっておきたいことは色々とあるのだけれど、それについてはまた別途落ち着いた頃に然るべきところに書きたい。

吉田隼人『霊体の蝶』を読む

はじめに

ここ一週間ほどプライベートで色々なことが重なり、心身ともにバランスを崩してしまった。

昨日の朝に血痰が出て、ここ数日はまともに起きていられない日がつづいていたりして、どうにも不調が癒えない。

そうしたさなかに詩歌を読み、詩歌を作っている。

ここのところまたペースが戻ってきたのは喜ばしいことと思うので、そのうちから吉田隼人『霊体の蝶』について、自分自身の創作のことなども交えながら、思うところをつらつらと書いてみる。

 

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詩を書くことは楽しいか? という問いへの答えと、新たな一歩を踏み出そうとしていること。

近しい人が創作活動を再開したという知らせを聞いた。そのことを本当に喜ばしく思うと共に、自分自身の創作はこれでいいのかとも思う。

また先日、とある詩人の投稿履歴のようなエッセイを読んだことで、もう一度あの投稿の日々に戻りたいという気持ちに駆られてしまった。

そうした外的な要因にあまり左右されずに、自分自身の創作物と向き合いたいと思ってきた。投稿生活から離れてしばらく経ち、この間に海をモティーフとした詩ばかりだった傾向から、だんだんとそこから離れて、さまざまなモティーフを用いるようになった。

そのことを単に寿ぐことはできない。血肉と化した言葉でなければ詩にはなり得ないという感覚は、吉増剛造『詩とは何か』を読んで以来、強く私の中にある。

そうして自分自身の体のうちからこぼれてくる言葉を詩に起こすという作業に関して、できるだけ他者の目の届かないところで書きたいと思ったのは、ある種の必然性を伴っていたのかもしれない。

ただ、それだけで本当にいいのかとも思ってしまう。思えばそうして公募から離れたことで、私は急速にあらゆる意欲を失ってしまった。生きることそのものに関しても、持病で平均的な余命が30年ほどとなっているので、余生を過ごしている感がある。

できないことばかりが増えていく時間がつづいていて、その中でかろうじてできることは文章を書き、詩を書くことだけなのだという思いが日々募る。

もう一度公募に出すとして、それなりに体力的にも気力的にもコストを振り絞ることになるが、それを覚悟の上なのかと自問する。答えはまだ出ないけれど、少なくともネットに載せてそれで終わり、という形にはしたくない。

かといって同人誌の詩集や、KDPで詩集を編むことなども、ずいぶんと先延ばしにしてしまっている。

詩を書いていて楽しいかと冒頭の近しい人から問われたことが何度かある。楽しいとはとても思えないが、詩を書くことは、私自身のバイオリズムと不可分な関係にあり、詩を断とうとしたこともあったけれど、今度は著しく調子を崩しただけだった。

そうしてダークな詩ばかり書いていても何ら楽しいと思えないのだが、それでも詩を書くのはそれが肉体的な快楽と密接に関わっているのだろうと思う。ココア共和国の秋吉久美子賞の最終候補となった時、選評に「嘉村詩穂の詩はエクスタシー」と評していただいたことがあった

死から生へ、生から死へと向かうエクスタシーは、私自身の詩作の原点を振り返ってみても、全く同様で、一貫して変わらない。詩を通じて私は生き、そして死んでいるのだと思う。

かりそめの死を迎えるために、そして新たに生まれ変わるために詩を書いている。それは楽しいという言葉ではうまく表現できないし、肉体的な必然性に駆られて詩を書いているのだという方が正しいかもしれない。

そうして生まれた詩と、私はこの公募から離れていた数ヶ月の間に、どれだけ向き合えたのだろう。新たな模索を試みはしたけれど、それがどれほど成功したかはまだ実感として掴めずにいる。

いつしか詩のモティーフは、「海」から「喪に服す」というテーマへと変わっていった。それは私自身の両親との別離や、大切な人との別れがあったからで、この先数年はこのテーマから離れられないだろうと思う。

そうした中でいかに新たな詩を生み出していくのか。ココア共和国では、ずいぶんと秋吉久美子先生に評価していただいてきたけれど、ユリイカ現代詩手帖でどの程度通用するものなのか、全く読めずにいる。そうたやすいものではあるまいと思えば思うほど足がすくむ。

それでも足を踏み出さなければ、ずっとこのまま秘して誰にも見せることなく喪に服す詩を書き続けることになるだろう。新たな景色を見てみたいと今は強く思っている。

弱っている時だからこそ、ただひたすらに美しいものを観ていたい。X、YouTubeの個人的な使い方。

はじめに

ここのところSNS疲れに拍車がかかっていて、その原因の幾らかは不快なものをどうしても見てしまうことに深く関わっているように感じます。

それでもSNSYoutubeをついつい観てしまう身として、対処法をあれこれと考えたり、試行錯誤を重ねてきたものの、どうしてもネガティブな側面に目を向けてしまいがちでした。

先日、病状が思わしくなくて、疲れて部屋に帰り、いつもはブログ原稿を書く時間に、なかなか筆を取れずにいたので、一時間ゆっくりしようと決めて、YouTubeを流しながらXを観るという怠惰な時間を過ごしました。

ちなみにXは今はほとんどROM専として、鍵垢のみを運用しています。

XもYouTubeも、疲れている時のためにフォローやチャンネル登録は厳選に厳選を重ねているので、いくつも素晴らしい作品や演奏などに出会うことができました。

SNS断ちがどうしてもできないからこそ、それをポジティブに使うことの大切さを痛感したので、以下、おすすめの動画やXのアカウントをご紹介したいと思います。

 

Xでフォローしているおすすめアカウント

個人的に疲れている時には、淡々と作品を載せていたり、あまりプライベートなところを明かさない作家さんや、素敵なお品を扱っているお店、美術館などのツイートに心癒されることが多いです。

フォローは厳選しているので、おすすめ欄で参ってしまうことがあまりないことには助かっていますが、この日のおすすめ欄は個人的に惹かれるものが多く、その一例をご紹介したいと思います。

 

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2024.04.04-05 詩を書くこととポケモンについて語る

詩を書くことについて

0時になったらひとまず原稿に着手しようと決めていた。ヘンデルをイヤフォンから流しながらPCへと向かう。

ここのところ一日がかりの通院などもあり、またパートナーが多忙で、なかなか深夜の時間帯にまとまった時間を取れずにいた。

家族というコミュニティの中で、役割を担いながら文章を書いているので、どうしても制約は付きまとう。愛猫の調子も日によって変わるし、状況は常に可変的で、それに合わせる形で文章を書くことになる。

ここ数日の作業を振り返ってみると、先日までのように、日中に思うようにメモを活用できずにいた。ブログの更新も滞り、日々の原稿の進捗も捗々しくない。

another-world-of-aniron.hatenablog.jp

another-world-of-aniron.hatenablog.jp

とはいえ、紅茶を淹れて青葉市子を流しながら、思いつくままに浮かんできた言葉をなぞっていくうちに、それが詩になったり、日記を書こうとエディタを開いて、その言葉から詩が生まれたりはしていたので、私はやはりどうしても詩というものから離れられないらしい。

 

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