紫水宮

嘉村詩穂の告知ブログ

2024.06.07 詩的表現としての踊りを試みることについての思考メモ

ゴタゴタがあり、すっかり参ってしまった翌日、ダウナーな気分だったので、ビリー・アイリッシュの3rd Albumを流していたら、ふと踊りたくなった。

ヒット・ミー・ハード・アンド・ソフト

ヒット・ミー・ハード・アンド・ソフト

Amazon

open.spotify.com先日入浴前にアーバンギャルドの「ノンフィクションソング」を適当な振り付けで踊っていたら楽しかったのを思い出したのだった。

open.spotify.comやる気が出ない日に踊るのは、アッパーな気分で踊るのとはまた違って楽しい。嫌々と踊り始めて、最後には気分が高揚していくという感情の曲線が生じるのも気持ちがいい。
踊る時、私はいつも嘘つきバービーの「虫こない」の少女を思い出す。

その少女になりきったつもりで踊る。もうとうに解散してしまったバンドだけども、PVは秀逸で何度でも観てしまう。彼女はだるそうに、嫌々と踊り始めて、とち狂ったようなPVの中でダンスを続けるのだが、その様子が自分自身の踊りと一番近い。

youtu.be踊りというと、テンションが高揚して、その気分に合わせて踊るということが多いと思うのだけれど、その表現にはあまり興味がないし、振り付けの凝ったアイドルのダンスにも、DJのライブパフォーマンスを受けて、熱狂的な音楽と共に踊るダンスにも全く関心がない。どうしてもそれらを低俗なものだと思ってしまう。
その点ビリー・アイリッシュはうってつけで、初めは踊る気もなかったのだけれど、聴いているうちに自然と体が動き、そのままキッチンへ移動して、その場で踊った。
雑な振り付けで踊っているうちに、愛猫も面白そうだと思ったのか、食器棚の上に登って応戦してくれて気分が盛り上がった。

この続きはcodocで購入