紫水宮

嘉村詩穂の告知ブログ

2024年の創作どうする問題

小説

小説から、物語という構造からなんとか逃れようとしつづけた二年間が終わったのだと思う。

春に「私」物語化計画の商業誌『「私」物語化計画』創刊号に、時代ファンタジー短編小説「all the good girls go to hell」を掲載していただき、先日には「私」物語化計画のオンラインサロン内に山川健一先生の推薦作として、ファンタジー掌編小説「追憶の葬送」を掲載していただいた。

「追憶の葬送」はブンゲイファイトクラブ5の一次予選を通過した作品でもあり、これをもって小説に復帰する糸口を掴めたと感じた。

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持病もあり、小説と対峙することが困難を極めたこの二年、未だそのリカバリーができていないのが現状だが、来年はなんとか少しでも小説を書くリハビリをやっていければと考えている。

書きたいものは色々とあるし、まだまだ形になっていないネタや、山川健一先生にかねてから勧めていただいているジャンルであるホラーにも挑戦してみたいという思いがある。

どこまで実現できるかは未知数だが、軸を詩から小説に移すべく、少しずつ小説の読み書きを再開していきたい。

一時期は消耗が激しすぎて、全く小説を書けないどころか一冊も小説を読めない日々がつづいたが、主宰してきた読書会のおかげもあり、ここ数ヶ月で前よりも小説を読めるようになってきたため、今はとにかく物語をどんどん自分の中に取り込んで消化していくことを意識して読書に励みたい。

年単位でのリハビリが必要になるかもしれないので、公募への投稿などは今のところは考えずに、とにかく書くことに自分を引き戻していけるように頑張るつもりだ。

 

そうは云っても完全に小説だけに集中していては、私の精神は参ってしまうことは目に見えている。

諸事情あってココア共和国から出国して、新たな場を模索しようかとうっすらと考えている。

とはいえここ2年ほど毎月詩を書いて投稿しつづけていることにも少々疲れを感じているので、投稿するかどうかはまた追々考えることにしたい。

今年はほとんど誰にも詩を見せず、誰にも読まれないまま詩を書いてきた。

そうした時間が今年の私には必要だったし、エミリー・ディキンソンや宮沢賢治がそうであったように、私にとって詩は生きるための杖のようなもので、それが誰にも評価されずとも書かずにはいられないのだからしょうがない。

来年もたとえ小説は書けずとも、詩は書かずには生きていけない人間なので、ただひたすらに詩を書きつづけるのだろうと思う。

できれば詩集という形に編み、中原中也賞に投稿したいという気持ちもあるのだが、病状がなかなか落ち着かず、仕事も来年もほぼ通年で入るであろうことを考えると、すぐにというわけにもいかないかもしれない。

とにかく今は詩を書きつづけることだけを意識していたい。

その過程でやはり月毎に投稿したいと思うかもしれないし、あるいはBOOTHでDL折本形式で詩を頒布をしたり、noteなどを利用して詩を公開したいと思うかもしれないが、その時の体調とよく相談しながら決めたい。

あるいは小説をメインと据えて、詩歌は趣味的に作っていくという道を選ぶことになるのかもしれない。

現時点では持病を抱えながらのことなので、体調と相談しながら決めざるを得ないが、いずれにせよ無理なくつづけていける自分なりのペースやステータスの配分を見つけられればと思う。

 

短歌

詩を書いたのちに、その詩に沿って短歌を詠むという形が私には合っているようで、詩→短歌→詩→短歌という形で詩歌を作ってきた一年だった。

しばらくの間は短歌講座の受講を視野に入れていたのだが、短歌そのものはやはり私のやりたいことではないのかもしれないという思いも抱いていて、もしも本当に好きなのであれば毎日作っていられるはずだろうとも思う。

そうでなければ本質的に向いていないということになろうかと考えているので、趣味の範囲としてとどめておくことにするかもしれない。

今は二次創作短歌を作ることにハマっていて、そうした気楽さや楽しさを感じながら作歌をしていたいという気持ちもあり、公募への投稿や、短歌講座の受講はその次の段階として来るべきだろうと思っている。

とはいえ短歌を完全にやめてしまおうと考えるのもそれはそれで苦しさがつきまとったし、そのやめる/やめないという二つの選択肢の間で苦しみを抱えつづけた一年でもあったので、自分が納得できる形で無理なくつづけていけるようにしたい。